VLOG-019 : How does Meditation develop into Enlightenment?

How does Meditation develop into Enlightenment?

 

How does Meditation develop into Enlightenment?
The knowledge came out so clear and so profound!
29 minutes of entertaining ideas to stimulate your Enlightenment.

 



どのようにして瞑想が啓発へと成長していくのでしょうか?

 ※ スタッフより日本語通訳補足 ※
ブログに投稿する際に改めて英語を聞いて日本語に直してメモをしております、通訳時のものより正確になっていると思いますので、こちらもどうぞ一度ご覧くださいませ<m(_ _)m>
このビデオは約29分です。(~
19分12秒までメモ済)

○ 瞑想を始める前は…

・私たちの人生の全ては、海の表面・波と線の間の部分に限られています。
・私たちの経験の全てがそこに限られ、私とはこの全てだと考えています。
・もし海の表面に痛みがおこれば、それが私たちを揺さぶり閉じ込めてしまいます。風に舞う木の葉のように、自分は無力だと感じます。
・自分におきる物事は自分自身に大きな影響を与え、それらから離れることができません。
・これが自分自身だと理解しているものは、すべて、定義です。「私はこれだ、私はこれをする、私はこれが好きだ」というような。
・「内側は無である」という仏陀の言葉を読んでも、実感がわきません。
・そこで私たちは瞑想をはじめます。

 

○ ELM瞑想を学ぶと…

・ELM瞑想のマントラは、海の波の表面(すべての物質的な知覚)から、マントラ自身が消えてしまう海の底まで、私たちを連れていきます。
・ELM瞑想のマントラはタクシーのようなものです。
・まず目を閉じて、自分の内側に入ります。
・ただ目を閉じるだけではなく すべての領域を超える深い深い内側まで、そしてすべてのものが消え、ただ意識だけが残るところまで、奥深く進んでいきます。
・本当の瞑想の定義は、意識だけを意識する状態です。 客体(観察する対象)も、美しい景色もない、クリシュナもシヴァも誰もいない、何もない、ただ意識だけがある状態です。
・この意識=空は、無限です。全方向に無限に広がっています。

 

○ ELM瞑想を続けていくと…

・もし、この無限を体験したのが一瞬であれば、この領域にいたことに気付かないかもしれません。
・しかし、何度も空に入り、何度もタクシーに乗って空を訪れ、何度もマントラで瞑想を行っていくと、わたしたちはだんだんと空の無限に馴れ親しみはじめます。
・そして、瞑想を終えて日々の活動や普通の生活に戻った時でさえ、この無限の静寂の一部をあなたと一緒に持ち帰るようになっていきます。

 

○  Enlightenment(啓発)とは、永遠に空の中に留まっている状態です

・ある時点で、あなたは空の中に留まり、あなた自身の瞑想や日々の生活を観察することができるようになります。
・それは奇妙な感じです。なぜならそこに、スペース・空間があるからです。観察している意識と、知覚する領域としてのこの宇宙との間に。
・実際、マインドの上にスクリーンがあること、『わたしのマインド(思考)はコンピューターのようなものであり、そして私自身は背後に下がり、そのコンピューターのスクリーンを見ているのだ』と実感したときには、本当に奇妙に感じます。

 

○ ギャップ(隙間)

・ここに、ギャップがあります。空とマインドのスクリーンの間、または 空とこの宇宙との間に。(これはあなたがどちらを見ているかによります)
・このギャップの中に、ナラシムハ そして 母なる神(マザーデヴァイン)が存在します。
・完全な空ではなく、宇宙の中でもない、その間です。
・この領域もまた無限の静寂ですが、それでも、完全な無限の静寂ではありません。

 

○ ヴェーダ、宇宙の青写真

・これを理解するために、もう一歩進みましょう。
・この宇宙全て、この宇宙の全範囲は、何か・どこかから現れました。それが、宇宙のためのブループリント(青写真)です。
(日本ではそれをパラレルワールドと呼ぶかもしれません)
・実際、そこにはブループリントとストーリーがあります。宇宙が現れるときはいつでも、それは空の中に隠れているブループリントから誕生します。
・このブループリントをヴェーダと呼びます。
・ヴェーダは、サンスクリット語のヴィッド(VID)という言葉からきています。
・ヴィッドの意味は知識です。
・ヴェーダとは宇宙にあるすべてのものの知識を意味します。(英語では、Knowledgeの最初のKは大文字)
・このヴェーダ=知識が、静寂の中で目覚めます。
・このヴェーダは静寂の中で隠れていますが、見つけることができません。量子顕微鏡や電子顕微鏡を用いても。
(電子顕微鏡でさえ発見することができるのは、ギャップの上にある線の、ギリギリ上の部分までです。ものすごく微細なので見ることはできないでしょう。ですがこれすらも未だに物質宇宙の中に存在し、観察される対象です。)
・しかし、ヴェーダは、空の中にあります。透明であり、隠れていて、眠っています。それは、何らかの火花が(自身を)目覚めさせるのを待っています。
・空の中の何らかの動きがヴェーダをかき混ぜ、宇宙の出現を活性化します。

 

○ 宇宙と空(正確にはギャップ)との境界線

・この線の上の活動が最もパワフルだということができます。
・なぜなら、空が無限であるなら、無限から最初に現れるものもまた、ほとんど無限であるはずからです。この線は無限でなければなりません。
・ですので、たとえばキリスト教徒の方のように宗教的な方は、この線を全能の神とおっしゃるでしょう。
・オールマイティ(全能)は、無限であるという意味です。
・この線の時点では、ひとつです。まだたくさんの神々に分かれてはいません。
・ここは、宇宙の大海のハートであり魂です。全知全能の神。
・しかし(このしかしは重要な「しかし」です)、これは、現れては消えます。
・無限ですが、現れては消えます。
・なぜなら、『空だけしか存在しない』状態があるからです。
・これは神秘です。多次元宇宙(マルチバース)を理解しなければわからないかもしれません。様々な宇宙が、様々な時に現れては消えています。
・しかし、空は量子場です。これらすべてのパラレル宇宙が、そのなかでは同時に現れます。
・とても深い内容なので、頭が混乱するかもしれません。ですが本当のことです。

 

○ 私は空であり、体でもマインドでもない

・空は、これらを観察しています。
・空は、意識です。
・宇宙がそこに存在しないときでさえ、空は静寂の中で休んでいます。
・これは、空が眠っているという意味でしょうか?
・ときおりそのようにも説明されますが、違います。
・真実は、空は安らかで静かですが、鋭敏なままです。(restfully alert)
・まるで瞑想のように。
・「時間はどこにいったのだろう、私に何が起こったのだろう、私はどこにいたのだろう?」
 「私は意識があった、でも何も覚えていない」
 「頭が前に落ちていたから、たぶん眠っていたんだろう」
 「でも、わたしは起きたことさえ覚えていない」
 「あれっ!わたしはどこにいるんだ?何がおきた?」
・これは、普通の睡眠から目が覚めるような体感ではなく、ショックを受けたような感じです。
・私たちは、眠っていませんでした。
・空は決して眠りません。
・空は、意識です。
・ただ、鋭敏な状態で休息していました。
・あまりにも静かで鋭敏なため、活動の波はありません。
・今、宇宙が現れます。
・私は、空です。
・宇宙はそこ(前)にあり、私はここ(離れた背後)にいます。
・私は、身体とマインドを見ます。
「あれ?身体はそこにある。でも私はここにいる。」
「ちょっとまって。私はちゃんと意識がある。でも本当に奇妙だ。わたしの思考がそこにある。コンピューターのスクリーンだ。あれはわたしのマインドだ!なんてことだ、私は自分のマインドじゃない!」
「私とは、自分の体ではない!絶対に間違いなく、私は体ではない。どうやってそれ(肉体)に入ればいいのかもわからない。私は画面に収まりきらないくらい大きい意識だ!どうやってこの肉体に収まればいいんだ?私には(そのための)扉さえ見つからない」
「私は、この人生でずっと、この体を『わたし』と呼んできた。でも今、私は『あれ』と呼ぶ。『あの体』『あれがボブ』だと」
・マインドでさえ、スクリーンです。(=私ではありません。)
・もし私が本当に空の中にいることができれば、もし私が本当にこの静寂の存在になれば、全ての知識は私の内にあります。
・この宇宙のすべてのものが、実は、私の内から生じます。
・実際に、私がこの体を見たとき、「私はあの体ではない」とはっきりわかります。
・それどころか、私であるものは、あらゆるものを通して見ることができます。
・実際、この意識(空)は、ボブや他の人達を通して見ることができます。
・すべての個々の波の知覚は、同じ意識の大海から生じます。
・(表面の波の位置ではなく空の位置でもなく)海の中の地点でさえ、自分がボブではなく、これでもなくあれでもなく、すべてであることがわかります。
・ですが、空からの視点の場合、「…ああ、私は大海の全てだけれど、私は海の中にある何ものでもない。私は外から中を見ている。」と理解します。
・そこにはスペース、空間があります。
・観察している私自身と、このマインドのスクリーンとの間に。
・サンスクリット語では、これを、ブッディとプルシャの違いと表現します。
・プルシャは、空です。
・ブッディは、知性です。
・「彼はブッダである」という表現をしますが、このブッダ(Buddha)という言葉は「ブッディ」(Buddhi)が語源です。
・これは、エゴでもマインドでもなく、知性(Intellect)、私たちの意識の知性(intelligence:知恵・理解力・思考力・聡明さ)です。

~19:12

 

 

 


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