人生の4つの視点 : 無明(無知)から啓発へ | The 4 Views of Life ― From Ignorance to Enlightenment

The 4 Views of Life - From Ignorance to Enlightenment

The 4 Views of Life - From Ignorance to Enlightenment

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啓発したマスターは、
現実に対する普通の人間の見方は 無明(無知)であると 言明しています。

無明とは、愚かであるという意味ではありません!

それはただ、
真実全体を 無視しているか、知覚できていないということを意味します。

残念ながら、無明(無知)の見方は、私達の 生まれながらの 通常の見方です。

 

 

通常の光景は、3次元の現実です。

主体と、知覚するすべての対象(客体)は、互いに分離しています。

主体は、現実を変えるために 一生懸命 働く必要があります。

しかし、やらなければならないことには終わりがないため、
必然的に、疲れ果てます。

私達は疲れます!

病気になり、最終的には 死に至ります。

 

 

夢の中では、
主体と客体はいつでも変化し、以前とは違うものになる可能性があります。

夢の中の現実の光景は 動き、変化し、止まることがありません。

感情は しばしば 手が付けられなくなります。

最初、夢の中の光景は、通常の3次元の現実のように見えます。

しかし後に、
通常の現実である「凍りついた」あるいは「氷」の光景のように、
夢の光景は 水のように動き、何も残っていないことに気づきます。

 

 

ほとんどの人の視野は、
通常の3次元の光景と 夢の光景に 限定されています。

これら両方の光景の中で、
主体はいつも 手が付けられなくなり、
現実を変えるには無力だと 頻繁に 感じます。

 

 

主体、動き、客体のすべてが、初めて消滅するのが、瞑想です。

意識だけが、客体や 主観的なマインドを持たずに 残ります。

深い瞑想で、意識は マインドのスクリーンを観察し、
それが すべての知覚作用が行われる
コンピューターのスクリーンのようなものであると はっきりとわかります。

通常の三次元の光景と 夢の中の景色は すべて、
コンピューターのこの画面上に現れます。

 

 

しかし 意識は独立していて、
目が 目それ自身とは別のものとして 肉体を観察できるように、
意識も
意識とは別のものとして、考えているマインドを
自由に観察することができます。

啓発した視界の目覚めは、瞑想中の光景から始まります。

 

 

通常の三次元の光景、夢の中の光景、瞑想中の光景の3つを、
私達が毎日交互に切り替え続けると、
非常に特別なことが起こります:

これらの3つが共に溶け合い、1つの啓発した光景に統合されます。

 

 

意識は、
マインドのスクリーン上の 通常の3次元の光景と 夢の光景を、
まるで映画のように観察します。

分離していたすべての要素は 映画に統合され、
コンピューターで映画を見るときと同じように、
映画の外から 映画を 見ることができます。

私達は、映画に夢中だったときに見ることができなかったものを 見ます。

 

啓発している意識は、コンピューターのユーザーのようなものです。

もし ユーザーが 新しいスキルを開発したら、
コンピューター内のすべてを変更できます。

主体と客体の関係は変わり、あらゆることが可能になります。

決して疲れず、ワクワクするでしょう。

 

私達の生命は映画を超えているので、映画の中で死ぬことは ありません。

啓発した生命は 永遠の生命であり、
パーペチュアルライフフォース(永遠の生命力)は 永遠に存在し続けます!

 

4つの光景は、永続するすべての全体と完全に啓発した光景の一部です。

 

 

 

 

 



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